「いやな感じ」高見 順2017年03月16日

 1月下旬あたりから作業していた高見順の1963年の小説「いやな感じ」の入力作業が終わり、青空文庫に送った。
 入力に使った本(底本ていほん)は私が高校一年の頃に買った中央公論社「日本の文学57 高見順」で、価格は390円だ。
 この1冊には、「如何なる星の下に」と「いやな感じ」の2編が入っている。私は「いやな感じ」だけを読むために買ったが、拾い読みをしただけだった。この本を処分することもなく持ち続けたのは、いつか全部を読むだろうと思っていたからだ。
 いよいよ読もうと思ったきっかけは、先だって読んでいた伊吹和子の「われよりほかに 谷崎潤一郎 最後の十二年」に、中央公論社の「日本の文学」の編集会議の様子が書いてあったからだ。
「日本の文学57 高見順」の表紙を開いたところに、1963(昭和38)年当時の高見順氏の写真と、編集委員の名が書かれている。
 1963(昭和38)年7月30日、編集委員の谷崎潤一郎、川端康成、伊藤整、高見順、大岡昇平、三島由紀夫、ドナルド・キーンが集まって、
------- 以下、「われよりほかに」から引用 -------
 会議が終わると、高見先生は、資料を片付けながら、ご自分の喉を指差して、
「俺、多分、食道癌なんだ。食べ物がつかえるんだよ、ここんとこに。俺みたいな悪い奴は、そろそろ年貢の納め時なんだな」
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 谷崎潤一郎は2年後の1965(昭和40)年7月30日に、高見順は8月17日に58歳で亡くなった。
 
 上下二段組の小さな文字の本は読むのには辛い。青空文庫のもので読みたいと思った。高見順は谷崎と同じ年に亡くなったから「いやな感じ」は青空文庫にあるのではと、作家別のページをチェックした。ところが、公開されているのは「如何なる星の下に」と「死の淵より」の2編しかない。「いやな感じ」は作業中のリストにも入っていない。公開中の谷崎潤一郎の21編と比べるべくもない数だ。
 あまりにも寂しい没後50年ではないか。
「いやな感じ」はもちろん、「故旧忘れ得べき」も加えられてしかるべきなのに。
 誰か、作業する人はいないのか。
 
 字の小さい本を読むときには、その本のページをスキャナーでイメージにしてパソコン画面で読むのが近頃の私の読書方法だ。全部のページをスキャナーで取り込むから、この際、「いやな感じ」の文字入力もやってしまおう。それを青空文庫に送ってやろうと思いたった。
 気軽に作業を始めたが、入力に20日間、OCRを使ったから誤字だらけ。その校正に1ヶ月余かかった。3度読み返すはめになった。「いやな感じ」は400字詰めの原稿用紙にすると870枚ほどの分量だ。
 
 これだけの回数を読むこむと、高校生の頃に買った本を、今日になるまで、何故、全部読まなかった理由が分かった。私は政治や思想には興味の薄い人間なのだ。反面、情景描写は好きで、特に、第一章に出てくる私娼窟の雰囲気、浅草の牛鍋屋「米久」、どじょう料理の「どぜう」、東武線の曳舟駅を降りたあたりでのコウモリの描写、「その五 砂むぐり」の主人公の生家の家業の鋳物工場の描写がいいのだ。第一章が一番読み応えがある。第四章は読みたくもない。
 
 物語は1927(昭和2)年、東京都墨田区の東向島あたりにかつて存在した「玉の井」の私娼街へ行くところから始まる。
 以下、第一章、その一、の冒頭部分――底本は文藝春秋新社 1963(昭和38)年07月30日発行のもの。
いやな感じ 高見 順
 第一章
   その一 魔窟の女

  暗い踏切の手前で円タクをとめた。旦那、お楽しみですねと若い運転手がにやにやしながら、釣り銭を出した。なに、言ってやがると砂馬慷一すなまこういちはその小ぜに◆◆をひったくるようにした。道路の向うを汽車の線路が横断している。旧式の機関車がその道路の真中に立ちはだかって、老いぼれの喘息みみたいに、ゼーゼーと白い息を吐いている。市外の、ここは場末のどん尻だ。
 歩道のはじに屋台が並んでいる。縫い目に一列にとっついたシラミみたいだ。屋台はつぎはぎだらけの布でかこってある。この通りはからっからっ◆◆◆風が強いのか、ぼろ隠しのような布の下には重石おもしの石がつけてある。石は囚人を縛るような麻縄でからげてある。豚の腹綿を焼いている煙が、もくもくと布の間から立ちのぼっている。
 砂馬と俺は右手の路地にはいった。この辺が一等地だと砂馬は言う。上玉じょうだまの女が揃っているというわけだ。道の左手は、安いけど女が落ちる。俺たちは、その日、金を持っていた。リャクでせしめた金である。
 一等地の女は路地に出て、客の引っ張りをしたりはしない。この魔窟は女からひったくられやすいソフトをかぶって来るなとか、ポケットの万年筆を女に取られて泣く泣くあがったとかいうのは、同じシマでも場所がちがうのだ。「品よく」(とは砂馬の言葉だが)家におさまっていて、
「ちょいと、ちょいと」
 女の顔だけが見える小窓から、通りすがりの男たちに呼びかける。
「ちょいと、兄さん」
「ちょっと、ちょっと、眼鏡の旦那」
 両側から誘いの声がかかる。ちょんの間ちょんの間◆◆◆◆◆なら、一円五十銭でも自分を売ろうという呼びかけである。
「ちょいと、洋さん」
 洋服さんという意味である。ちょっと、その洋服を着た旦那――という呼びかけである。きょうとちがって、和服の着流しがまだまだ多かった頃である。
「ちょっと寄っといでよ」
「ほらほら、ちょっと、ここをのぞいてごらんよ」
 日の暮れるのが早い季節で、暮れてから大分になるが、時間としてまだ宵の口だ。だのに、細い路地には早くも人がひしめいていた。
 路地を行く男は、こうした両側の小窓から、女たちの眼と声の一斉射撃を浴びるので、これでなかなか度胸がいる。路地の真中を、ほかの用で歩いているかのような足どりで行くのは、こういう場所にまだなれない男である。ときどき、ちらっと横目で小窓のなかをのぞく。声をかけられると、大ゲサに飛びのいたりする。なれた男は、雨降りの軒伝いみたいにして、いちいち小窓をのぞいて行く。買いたい女を物色する。お、いい女だねえと言ったりする。これは逆に、寄る気のないちゃらんぽらんである。心得た女は、いけすかないねえとか、場所ふさげをするんじゃないよとやり返す。
 俺は、まあ、横目使いと軒伝いの中間みたいなものだった。
 気のせいか、この路地には、トロ(精液)の臭いとそれから消毒液の臭いが、むーんと立ちこめているみたいだった。女に飢えた男たちの息、熱っぽい人いきれもくさい臭いを放っているにちがいない。
 路地は迷路のようにつづいていて、家と家の間の、ひと一人やっと通れる狭い道には「抜けられます」と書いてあった。道の奥にも、買い手を待っている女がひそんでいることを、そうして示しているのだ。
 軒さきに鬼婆みたいなのが立っていた。そのうしろにセーラー服の少女がしょんぼりと顔を伏せている。初見世はつみせなのである。あるいは、初見世ふうにして売ろうとしているのだ。少女は黒っぽい素足に赤い鼻緒の下駄をはいていた。
「どうだい」
 と俺は言った。
「駄目だよ」
 と砂馬は言った。年増じゃなきゃ、駄目だと言った。
 セーラー服の少女は、近づいてその顔を見ると、少女とは言えない齢の顔だった。白粉おしろいがうまくのらない、むらむらの顔は、ついこの間まで野良で働いていた娘らしいとも思われる。砂馬はしかし、三十すぎた女でなきゃ話にならんと言う。砂馬の言う年増とはその齢頃のことである。そしてその年増とはあばずれという意味でもあった。
 あらゆるタイプの女がここにはいた。お好みの女を買えるのだ。こんよく探せば、自分の好きな映画女優に似た女が、きっと見出せる、そういう場所だった。思えば、淫売窟華やかなりし頃だったのである。


「いやな感じ」が青空文庫で公開になるまでには、年月がかかるだろう。興味を持たれた方は、以下に、第一章、第二章、第三章、第四章を置きました。校正は完全でないことをご承知の上で読んでみてください。(2017年9月24日現在)

「いやな感じ」高見 順 ダウンロード
 底本は文藝春秋新社 1963(昭和38)年07月30日発行。「いやな感じ」は全4章です。

高見順「いやな感じ」第一章
↓テキスト版(zip圧縮)
ダウンロード→ iyanakanji_01.zip

高見順「いやな感じ」第二章
↓テキスト版(zip圧縮)
ダウンロード→ iyanakanji_02.zip

高見順「いやな感じ」第三章
↓テキスト版(zip圧縮)
ダウンロード→ iyanakanji_03.zip

高見順「いやな感じ」第四章
↓テキスト版(zip圧縮)
ダウンロード→ iyanakanji_04.zip

コメント

_ yn ― 2017年07月13日 02:09

いやな感じは現在でもしばしば言及される名作ですが、絶版になって久しいですね。
当時の隠語が多い作品ですので大変な作業かと思いますが、完成楽しみにしております。

_ いやな感じ 悠悠炊事 ― 2017年07月13日 04:47

ynさん、ありがとうございます。ここでは、10月頃には完成します。

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