金色の死 谷崎潤一郎全集(その25)2017年04月27日

 富豪の岡本君が金に飽かして箱根に作った、彼のいうところの「芸術の園」がどんなものか見せられるのであるが、私としてはスペインのプラド美術館にあるボッシュの三幅対の絵「快楽の園」をイメージしてしまう。
 岡本芸術は、今でいうところの温泉を含むテーマパーク、彫刻の森、デズニーランドみたいなものだ。今の箱根、伊豆にはそのようなものもあるし、四国には大塚国際美術館という贋作だけを並べた美術館が人気だ。103年前に書かれた「金色こんじきの死」は今現在を見据えていた感がある。
 谷崎潤一郎は「金色の死」を好まず、生前は全集に入れなかったが、没後は、死人に口なしとばかりに、夫人へ宛てた恋文とともに全集に収録された。

「私は将来文科大学を卒業して、偉大な芸術家になるのだと揚言して居たのです」
と「金色の死」の文中にある。芸術という語は明治になってできたという。
「末は博士か大臣か」と同じように、当時は、偉大な芸術家になって、日本の文化を盛り上げ、西欧文化に負けまいという機運があったのだろう。

 谷崎潤一郎の有名な、松子夫人に宛てた昭和7年の恋文では、
「私にとりましては芸術のためのあなた様ではなく、あなた様のための芸術であります、もし幸ひに私の芸術が後世まで残るものならばそれはあなた様といふものを伝へるためと思召して下さいまし 勿論そんな事を今直ぐ世間に悟られては困りますがいつかはそれも分る時期が来るとおもひます、さればあなた様なしには私の今後の芸術は成り立ちませぬ、もしあなた様と芸術とが両立しなくなれば私は喜んで芸術の方を捨てゝしまひます」(谷崎潤一郎全集没後版第二十四巻の295ページ)
と、まあ、「芸術」がたくさん出てくる。
 本人がいっているように、谷崎の書く小説は芸術であって、谷崎は芸術家なのだ。芸術という言葉が生き生きとしていて愛の告白にも使えた時代だ。
「芸術家は、自身の芸術活動が社会的に広く認知された状態にある人を指す」ウィキペディア
「芸術は爆発だ!」といった方も亡くなり、今は、芸術を「アート」と英語でいうことが多くなった。それはいいが、普通の歌手ばかりなのに「人気アーティスト(歌手)ランキング」などと、いったりする。
 明治以来の目的は果たされたと共に、芸術という言葉は古びてしまった。
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