ロゼッタストーン解読(その2)2018年02月17日

「ロゼッタストーン解読」はイギリス人(二人ともウェールズ出身)の考古学者夫婦の手になるもので、ロゼッタストーンのことよりもシャンポリオンの伝記であると思って読んだ。

「ロゼッタストーン解読」を読み進めていくと、やっと 221ページ(ハードカバー本)になって、私の疑問である、
 ロンドンに置いてあるロゼッタストーンの実物を、シャンポリオンはロンドンに出向いて見たことがあるのだろうか?
 の答えが出てきた。
 答えは Yes である。1824年5月のことだ。
 1822年9月にシャンポリオンは「解読不能だったエジプトのヒエログリフの謎を解く鍵をついに発見した」、その2年後にロンドンに出向いたのだ。
鮮明な複写の入手に苦労したロゼッタストーンそのものを調べるためにイギリスへ、大英博物館へ兄のジャック=ジョセフと共に行ったが、その旅と感想については記述がない。
 ロンドンの大英博物館に兄と一緒に行きはしたものの、感想もなく、なんの記述もない。ロゼッタストーンの実物を見て、感激、感慨を得ることはなかったのだろう。

 続いて、225ページには、
ロゼッタストーンが重要なのは、そこにヒエログリフを含む三つの言語が併記されているからであった。このことが解読の手がかりとなるものと考えられ、ヒエログリフの新たな研究の刺激剤となった。実際にはロゼッタストーンのテキストは使用に限度があった。というのは、シャンポリオンが『ダシエ氏への書簡』で指摘したように、そのヒエログリフはだいぶ破損していたからである。

 ここで、大英博物館のブログの Everything you ever wanted to know about the Rosetta Stone からの写真とイラストを拝借して説明をする。左は碑文の一部であるロゼッタストーン、右のイラストは碑文の破損以前の状況を想像して描いたものだ。
 ロゼッタストーンの上段の古代エジプト文字のヒエログリフで書かれいるのはたったの14行。
 中段の古代エジプトの民衆文字、デモティクで書かれたところは、32行。
 下段の古代ギリシャ文字で書かれたところは、53行。
 ヒエログリフの部分の欠落はひどく文字がきわめて少ない。

 同じく、225ページには、
「ロゼッタストーンのヒエログリフ・テキストはそれほどこの研究には役立たなかった。というのは、その破片から読み取れたのはプトレマイオスの名前ひとつだけだったからである」

 上段のヒエログリフで書かれている部分、上端から6行目のところにあるカルトゥーシュだ。これが、ロゼッタストーンの文字での一番の見どころだ。
「プトレマイオス」はファラオ(君主)の名前で、それはカルトゥーシュと呼ばれて文字が囲まれている。カルトゥーシュはロープの象形文字で「取り囲む」を意味しているそうだ。
 囲みの左端の縦線|の部分が結び目で、名前は結び目の反対側(この場合は右)から読み始める。
 シャンポリオンは「プトレマイオス」のヒエログリフと、他の碑文にあった「クレオパトラ」のヒエログリフとを比較することで、両方の名前に共通する文字でアルファベットで綴る場合の対応関係を推定した。(本文 182ページ、183ページ)
 さらにエジプトでの新しい発掘からのヒエログリフから、ラメセス、ツトモシスのファラオの名を読み取り、解読の基礎となる原理を認識して、ヒエログリフの解読法が完成した。

 同じく、225ページには、
「ロゼッタストーンは解読志願者の注目の的となり、その碑文は寄せられた期待に応えることはできなかったものの、いまだに一般によく知られたシンボルとなている。しかし、解読の手がかりを与えるものとして、これよりはるかに重要なのは、他の碑文やパピルスだった。
 こうまで書かれると、私の説明として、
「ロゼッタストーンはイギリスの大英博物館に展示されていて、エジプトの象形文字の解読の手がかりになったものです」
 とは、言い切れず、解読の手がかりの一つだったといったほうがいい。だが、ロゼッタストーンの出現は、学者たちを刺激して、解読しようという機運を盛り上げることには役立ったのだ。

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