ロゼッタストーン解読(その3)2018年03月12日

 ヒエログリフ(エジプトの古代文字)の解読までの流れは、「ロゼッタストーン解読」の本では冗長すぎて分かりづらいため、もう一冊の本を図書館から借りてきた。
 サイモン・シン Simon Singh の「暗号解読:ロゼッタストーンから量子暗号まで」(原題:THE CODE BOOK : The Science of Serecy from Ancient Egypt to Quantum Cryptography)。
 この本は、暗号の歴史を古代から戦争時、そして現代の素数を使う暗号、そして未来の量子暗号まで解説している。
 ヒエログリフの解読は第Ⅴ章 言葉の壁 に書かれている。この章の最初は、アメリカインディアン部族の一つであるナバフォ族のナバフォ語を使った第二次世界大戦中のアメリカ海軍の暗号について説明している。
 ナバフォ語はナバフォ族の人たちにしか理解できないことから、ナバフォ族の英語のできる者を通信兵として動員し、英語をナバフォ語にして暗号化して発信し、受信するほうはナバフォ語から英語に戻した。日本軍の暗号はアメリカ軍に筒抜けだったが、アメリカ軍のナバフォ暗号は日本軍には理解できなかった。
 その後「失われた言語と古代文字の解読」としてヒエログリフの解読が書かれている。
 古代エジプトの書記は暗号で書いたわけではなかったが、長い年月の末、使われることがなく読める人がいなくなってしまったヒエログリフは後世の人には暗号と同じだった。

 サイモン・シンはヒエログリフ解読に至るプロセスを簡潔に書いている。さらに分かりやすいように年表にしてみた。
 1652年
ドイツ人のキルヒャーが、辞書「エジプトのオイディプス」を出版。
わずかばかりのヒエログリフの文字(今日では単に「アプリエス」というファラオの名前)を、
「聖なるオシリスの恵みは、聖なる儀式と一団の霊によって招来されるべきものであり、その目的はナイルの恵みを得ることにある」
と、とんでもない翻訳を行ったが、解読を志す人たちへの影響は大きかった。
 1798年
ナポレオンのエジプト遠征。
古代エジプトの文物は綿密な調査を受けることになった。
 1799年
フランス兵士らがロゼッタで石版を発見する。
ロゼッタストーンは、カイロ→アレクサンドリアと移送されたところで、フランス軍は降伏し、イギリス軍の手中に収まった。
 1802年
ロゼッタストーンは、イギリスに送られ、大英博物館に収蔵されて、今日に至る。
ギリシャ語部分の翻訳から、ロゼッタストーンに刻まれているのは、紀元前196年にエジプト神官の総会で決議された法令であることが明らかになった。しかし、キルヒャーの知的遺産から、ヒエログリフの文字は表意文字であって、表音文字ではないと思いこんでいたから翻訳できなかった。
 1814年
イギリスの万能の天才トマス・ヤングがヒエログリフに興味を持ち、ロゼッタストーンの解読が始まる。
カルトゥーシュの部分に注目し、プトレマイオスの名前に違いないと判断した。何故なら、ギリシャ語部分にその名前が刻まれていたからだ。ヤングはそこからヒエログリフの音価を推理した。さらに別な碑文のカルトゥーシュからも名前を解読し音価を判断した。
ところがここでヤングは解読を止めてしまった。我々日本人が外国人の名前をカタカナの表音文字で書くように、カルトゥーシュの名前は外国人だから表音文字にしたわけで、他のヒエログリフは表意文字だと思いこんでしまった。
ヤングは何でもすぐに夢中になるが、やりかけの研究を途中で放り出して次の問題に移ってしまうのだ。
 1819年
ヒエログリフへの興味を失ったヤングは「ブリタニカ百科事典補遺」へこれらのことをまとめて仕事を切り上げた。
 1822年
シャンポリオンはヤングの方法を他のカルトゥーシュにも応用してみた。
他の碑文から、クレオパトラ、アレクサンドロスを解読した。
クレオパトラもアレクサンドロスも外国人の名前でエジプト語では表せられないからだというヤングの説を支持するものでヤングの仕事の拡張にすぎなかった。
 1822年
 9月14日
シャンポリオンはギリシャ、ローマ時代よりも古い時代の碑文拓本から、
ヒエログリフが4文字しかないカトルーシュに注目し、左端の文字は太陽を表す表意文字ではないかと考えた。コプト語の太陽、ra であると閃き、ラムセスの名前を表し、ラムセスは外国人ではないのに表音として綴られていることを発見した。最初の音節raだけが絵文字の太陽、で表され、残りは普通の表音文字だった。
わかったよ!
ヒエログリフの4つの基本原理が明らかになった。
① ヒエログリフの言語は、少なくともコプト語(古代エジプトの言葉が進化したもの)と関係があること。
② いくつかの単語には表意文字が使われている。
③ 長い単語では、全体または一部に絵文字が使われている。
④ 古代の書記たちは文章の大部分に対して、表音アルファベットを使っていた。表音的使用法はヒエログラフの書記体系の“精髄”である。
 1824年
シャンポリオン 「ヒエログラフ体系要約」を出版。
 1828年
 7月
シャンポリオンは1年半に及ぶ最初のエジプト調査旅行に出発した。
シャンポリオンの解読法はさまざまな碑文で試され、立派に役に立ったばかりでなく、いっそう洗練され、補強された。否定するライバルもいたが、ヒエログリフが解読され、古代エジプトのテキストは読むことができるということについて、もはや疑問の余地はなかった。(ロゼッタストーン解読:272ページ)
シャンポリオンはルクソールのナイル川西岸にある岩窟墓群を「王家の谷」と呼び、この名前が今日も通用している。
パリ、コンコルド広場のオベリスクはシャンポリオンが選んだルクソールのものが運ばれ1836年に建てられた。
 1829年
 5月10日
トマス・ヤング死去。
光の干渉現象を再発見して(ヤングの実験)光の波動説を主張した。
弾性体力学の基本定数ヤング率に名前を残している。ほかにエネルギー (energy) という用語を最初に用い、その概念を導入した。
 1832年
 3月4日
シャンポリオン死去。

 ヒエログラフ解読の突破口を開いたトマス・ヤングについては、「ロゼッタストーン解読」を読んで初めて知った。
 トマス・ヤングは、自分の解読法を使われ、フランス人にヒエログラフの全容を解読されてしまったことに不快だったようで、シャンポリオンに対して手厳しい批判をした。それらの詳細は「ロゼッタストーン解読」に書かれている。
「ロゼッタストーン解読」の著者はイギリス人の考古学者夫婦だが、以下のように書いていて公正である。
 ヤングは、ヒエログリフを解読するために必要な難関を突破できなかったが、紀元前七世紀半ば以後使われていた古代エジプト語であるデモティクの研究を進歩させた最初の学者だった。初期の研究ではデモティクとヒエラティックについて混乱していたが、トーマス・ヤングはデモティクの真の解読者と見なされてしかるべきであろう。このような功績が、ヒエログリフ解読にたいする真の役割をめぐる論争の蔭に隠されてしまうのは残念なことである。(ロゼッタストーン解読:290ページ)

 サイモン・シンの「暗号解読」は、ドイツ軍の暗号機のエニグマ、現在のRSA暗号(素数を使った暗号)など話が面白く読みふけってしまった。
 サイモン・シンの最初の著作はフェルマーの最終定理の証明までの話を書いたもので、これも図書館から借りて読んだが、面白すぎて2日間で読了した。それについては後日。

ロゼッタストーン解読(その2)2018年02月17日

「ロゼッタストーン解読」はイギリス人(二人ともウェールズ出身)の考古学者夫婦の手になるもので、ロゼッタストーンのことよりもシャンポリオンの伝記であると思って読んだ。

「ロゼッタストーン解読」を読み進めていくと、やっと 221ページ(ハードカバー本)になって、私の疑問である、
 ロンドンに置いてあるロゼッタストーンの実物を、シャンポリオンはロンドンに出向いて見たことがあるのだろうか?
 の答えが出てきた。
 答えは Yes である。1824年5月のことだ。
 1822年9月にシャンポリオンは「解読不能だったエジプトのヒエログリフの謎を解く鍵をついに発見した」、その2年後にロンドンに出向いたのだ。
鮮明な複写の入手に苦労したロゼッタストーンそのものを調べるためにイギリスへ、大英博物館へ兄のジャック=ジョセフと共に行ったが、その旅と感想については記述がない。
 ロンドンの大英博物館に兄と一緒に行きはしたものの、感想もなく、なんの記述もない。ロゼッタストーンの実物を見て、感激、感慨を得ることはなかったのだろう。

 続いて、225ページには、
ロゼッタストーンが重要なのは、そこにヒエログリフを含む三つの言語が併記されているからであった。このことが解読の手がかりとなるものと考えられ、ヒエログリフの新たな研究の刺激剤となった。実際にはロゼッタストーンのテキストは使用に限度があった。というのは、シャンポリオンが『ダシエ氏への書簡』で指摘したように、そのヒエログリフはだいぶ破損していたからである。

 ここで、大英博物館のブログの Everything you ever wanted to know about the Rosetta Stone からの写真とイラストを拝借して説明をする。左は碑文の一部であるロゼッタストーン、右のイラストは碑文の破損以前の状況を想像して描いたものだ。
 ロゼッタストーンの上段の古代エジプト文字のヒエログリフで書かれいるのはたったの14行。
 中段の古代エジプトの民衆文字、デモティクで書かれたところは、32行。
 下段の古代ギリシャ文字で書かれたところは、53行。
 ヒエログリフの部分の欠落はひどく文字がきわめて少ない。

 同じく、225ページには、
「ロゼッタストーンのヒエログリフ・テキストはそれほどこの研究には役立たなかった。というのは、その破片から読み取れたのはプトレマイオスの名前ひとつだけだったからである」

 上段のヒエログリフで書かれている部分、上端から6行目のところにあるカルトゥーシュだ。これが、ロゼッタストーンの文字での一番の見どころだ。
「プトレマイオス」はファラオ(君主)の名前で、それはカルトゥーシュと呼ばれて文字が囲まれている。カルトゥーシュはロープの象形文字で「取り囲む」を意味しているそうだ。
 囲みの左端の縦線|の部分が結び目で、名前は結び目の反対側(この場合は右)から読み始める。
 シャンポリオンは「プトレマイオス」のヒエログリフと、他の碑文にあった「クレオパトラ」のヒエログリフとを比較することで、両方の名前に共通する文字でアルファベットで綴る場合の対応関係を推定した。(本文 182ページ、183ページ)
 さらにエジプトでの新しい発掘からのヒエログリフから、ラメセス、ツトモシスのファラオの名を読み取り、解読の基礎となる原理を認識して、ヒエログリフの解読法が完成した。

 同じく、225ページには、
「ロゼッタストーンは解読志願者の注目の的となり、その碑文は寄せられた期待に応えることはできなかったものの、いまだに一般によく知られたシンボルとなている。しかし、解読の手がかりを与えるものとして、これよりはるかに重要なのは、他の碑文やパピルスだった。
 こうまで書かれると、私の説明として、
「ロゼッタストーンはイギリスの大英博物館に展示されていて、エジプトの象形文字の解読の手がかりになったものです」
 とは、言い切れず、解読の手がかりの一つだったといったほうがいい。だが、ロゼッタストーンの出現は、学者たちを刺激して、解読しようという機運を盛り上げることには役立ったのだ。

ロゼッタストーン解読(その1)2018年02月13日

 エジプトの古代文字、ヒエログリフを解読したシャンポリオンについて書かれた伝記本「ロゼッタストーン解読」を読んだ。
 二日間で読み終えたが、この読書感想文は書くのに何日もかかり、長くなるから3部ぐらいに分ける。きょうは、その1だ。

 話を進めるために、既に削除した私のブログの2012年の記載を以下に再掲載する。(私のブログは1年経過の記事は削除することにしているためだ)

ロゼッタストーン 2012年06月02日
 今年はイギリスでオリンピックが開催されるから、NHKテレビではイギリス特集をやっている。
 きょうの午後3時からはBSプレミアムで「2時間で回る大英博物館~究極の完全ガイド」をやっていて、楽しみにして視聴した。
 ロンドンに住んでいた1977年から1979年にかけて何度も足を運んだところで、どこに何が展示されているか頭の中に焼き付けられている。
 30年経って、博物館の中は改装されたが、ロゼッタストーン、パルテノン神殿の彫刻類の展示場所は、それぞれ以前と同じところにあるようだ。
 30年前のロゼッタストーンの展示は、斜めに置かれ、硝子板が碑文の上に覆われていた。石の脇を触ることができた。今はガラス張りのケースの中にあり、手で触れない。
 ロゼッタストーンで思い出の一つがよみがえった。
 12年前のことだ。千葉県の幕張新都心のオフィスで職場の朝礼中、本部長が新しいファイルシステムの商品を紹介し、そのシステムの名前が「ロゼッタ」だった。
「ロゼッタはロゼッタストーンからとったものだ、誰か、ロゼッタストーンのことを知っているか?」と本部長が20名近くの部員に聞いた。
 5秒ほどしても、誰も手をあげないから、私が答えた。
「ロゼッタストーンはイギリスの大英博物館に展示されていて、エジプトの象形文字の解読の手がかりになったものです」
「悠悠炊事は外国で勤務していたことがあるから、よく知っているな。一つだけ間違いがある。ロゼッタストーンはフランスのルーブルにある!」
「!!」と私。
 本部長は決してバカな男ではない。ロゼッタストーンはナポレオンのエジプト遠征の時に発見され、フランス人のシャンポリオンによって象形文字が解読されるにいたったことで、フランスにあり、それはルーブルであろうと思い込んでしまったのだろう。
 間違えは正してやるべきだが、恥をかかすことになるから私は黙っていた。
 が、私の同僚、部下には、居酒屋での飲み会のときに本部長の勘違いを説明し、酒の肴にして楽しんだ。
 その本部長、今も健在であれば、「2時間で回る大英博物館~究極の完全ガイド」をご覧頂き、間違いに気付いてもらいたいものだ。
 フランス軍の手にあったロゼッタストーンがイギリスに渡ったのは、1801年、イギリス軍がエジプトに上陸してフランス軍を降伏させてイギリスの戦利品になったからだ。

 3年ばかり住んだイギリスに再び行ってみたいと思っていなかったが、大英博物館の展示物をじっくりと観るためなら再訪したいものだ。

 これを書いてから5年以上も経った2018年になって、また話を蒸し返すことになるが、ロゼッタストーンをもっと詳しく知りたくなった。そのきっかけはネットでのニュース記事を読んだからだ。
フランス 門外不出「バイユー・タペストリー」英に貸与へ(毎日新聞 2018年1月19日 12時17分)https://mainichi.jp/articles/20180119/k00/00e/030/248000c
【ロンドン矢野純一】英国を訪問中のフランスのマクロン大統領は18日、両国の文化交流を深めるため、フランス北部を統治していたノルマンディー公の11世紀のイングランド征服(ノルマン征服)を描いた「バイユー・タペストリー」を英国に貸し出すことを明らかにした。
 「バイユー・タペストリー」は、1070年代に制作されたとされ、幅50センチ、長さ約70メートル。2007年に「世界の記憶」(世界記憶遺産)にも登録され、ノルマンディー地方の美術館に展示されている。これまで、国外に持ち出されたことはない。移動によって損傷させないようにしたうえで22年に貸し出す。
 英メディアによると、英国側は大英博物館で展示している古代エジプトの石碑「ロゼッタストーン」の貸し出しを検討しているという。マクロン氏は会見で「英仏の文化交流の新たな一章となる」と述べた。
 BBCニュース(英語)で詳細を読みたい方はこちらを↓
 Bayeux Tapestry to be displayed in UK for the first time

 BBCの長い記事の中で「バイユー・タペストリー」を借りるお返しとして、大英博物館の「ロゼッタストーン」を貸し出そうかということは、最後の最後に以下のように書かれている。確約した話ではない。
Should we give them something in return?
Tom Tugenhadt, chair of the foreign affairs select committee, said the UK should "definitely" consider it.
"This is an opportunity for us to cement the relationship," he told BBC Radio 4's Today.
"One of the interesting items we might perhaps think about lending... is the Rosetta stone, which was discovered in Egypt."

 ウィキペディアで調べてみると、ロゼッタストーンは一度だけだが、フランスに貸し出されたことがある。
『1972年の10月の一ヶ月間、パリのルーブル美術館でシャンポリオンの「手紙」が公開されて150周年を記念し、そこで並べて展示されたのである』
 ロゼッタストーンはルーブルにあると堂々とのたまわった本部長は、1972年10月中にルーブル美術館に出向いてロゼッタストーンを見たのだろうか?

 ニュース記事から大英博物館のロゼッタストーンを思い起こし、ウィキペディアの「ロゼッタストーン」を読んだりもしたが、疑問が湧いてきた。
 ロンドンに置いてあるロゼッタストーンの実物を、シャンポリオンはロンドンに出向いて見たことがあるのだろうか?
 ウィキペディアで「ジャン=フランソワ・シャンポリオン」を読んでも、その答えはなかったが、そこに参考文献として書かれていた、レスリー・アドキンズ,ロイ・アドキンズ 『ロゼッタストーン解読 (原題 The Keys of Egypt)』新潮文庫、を読んでみることにした。幸い、ハードカバーの本が福岡市図書館にあった。